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Crossroads

久々にSS更新です。
昔に少々実験がてら書いてみたものなので読み辛いですが……。
あと、珍しくちょっと量多めになっております。














『 Crossroads 』




――prologue―― 

時間は、流れる。
時に、人そのものを置き去りにして。

いつもの居場所。
自分の居場所。

使い慣れた事務机に、お気に入りの椅子。
こういう所には出し惜しみしない自分の性格が出たというべきか、わざわざ専門店まで出向いて作らせたものだった。

言わば、自分の空間。
心中の拡張を促す場。
そこに、ドアを叩く音が侵入してきた。
驚きなど微塵も存在しない。その音の主は既に判っているから。

「入りなさい」

意識して、低い声を出した。
だがこの場において、相手を威圧する必要があっただろうか?
自分へノックしてみたところで、返事は響いてこない。
無駄な思考を巡らすのは悪い癖でもあるわね、と小さく呟いた。
まるで緊張を解きほぐすかのように。

僅かな沈黙。それは余裕か躊躇いか。

「……失礼、します」

扉の隙間から見えた、見慣れた顔。
決意と迷いが同居しているようなその表情は、ただ小さく笑っていた。

……いや、少なくともそう『見えた』。

気分は、ただ重く。
どうしてもその原因についてだけは、無駄な思索を巡らす気にはなれなかったけれど。











――black and white――



――気分が、悪い。
今に始まった事ではない。『あの少年』は、自分をいつも不快にさせる。

先刻、久方ぶりに顔を会わせた。
いつもなら、嫌味の一つも言ってやるところなのだが。

何故か、そんな気も起きず。
目的の場所へ案内する途中で、出てきた言葉は一つだけ。それを、小さく復唱してみる。
いつもなら思い出したくも無い、彼の顔を眼前に浮かべながら。

「……似合わない顔を、するんじゃないよ。」

ふっ、と吐き出した紫煙に、目を凝らした。
そこに何かが見えるような気がして。


いつもと変わらぬオフィスの机。
子供みたいな暇の潰し方。
そして、待っていた。
背後に響く足音を。
その主を。


「……貴女の差し金でしょう?」


自分の声に立ち止まった事を、気配から察する。
振り向かない。そんな気になれなかった。

「貴女の事は尊敬もしている。素晴らしい上司だ。ただ、この件に関して言うなら」

煙草を吸う手が止まらない。
滅多に無い事だった。

「このやり方は、好きになれませんね。卑怯だ、とすら思える」

敢えて、強い言葉を選ぶ。その端々が尖っていた。
フェアじゃない。
そう、思っていた。

「……そうね。同意するわ。『前提』を間違えている事を除いては」

手が、止まる。明かりの消えたパソコンのモニターに、ぼんやりと映る影。
不恰好な鏡を介して、柔らかに視線が触れ合う。

「提案したのは、あの娘。私じゃない」

気付けば、振り返っていた。
今の自分は、きっと間の抜けた顔をしているんだろう。
そんな事を考えながら。











――distance――



「……冗談、ですよね?」

 机の向こうから問いかける視線。
 つついただけで、涙が零れそうな。
 触れただけで、噛み付かれそうな。

「生憎、こんな冗談吐けるほど悪趣味じゃないわ」

 目線は逸らさない。
 少しだけ、痛かったけれど。



「二度も言わせないで。横島クンは昨日付けで解雇」

「……理由は、何ですか?」

「だって、所詮アルバイトだもの。彼無しでも充分にやっていける目処が立ったから、
 これだけじゃ不満?」



――――音が、響いた。言葉尻が切れるか否かのタイミング。
 それに続いて、頬に鈍い痛みがゆらゆらと。
 目を瞑る事も無しに、避ける事もせずに。

「……謝りたくない、気分です」
「謝って欲しくも無いわよ」

 普段なら、言わない台詞。
 迷い続けた状況は、舞台女優たる自分にそれを吐く事を選ばせた。

 こんな屑みたいな脚本を書いた主が目の前に居たなら、どんなに楽だろう。
 少なくともこの心の靄だけは、そいつを殴り倒して晴らすことができるのだから。

 そこまで思考を飛ばしてやっと、それが無理であるという結論に行き着いた。
 簡単な事だ。
 それは紛れもない、自分自身なのだから。

 目の前で落ちる雫だけが、現実の時間の流れを告げる。
 何を思う訳でもなく、ただ眺めていた。
 他人事のように、薄ぼんやりと。

 慰めるやり方も、更に言うなら切れ味の鈍い伝え方も。
 自分は知っていたはずなのに、それをしなかった。

 知っていた。
 目の前の少女が、自分を差し置いて前に出たりなんかしない事。
 知っていた。
 彼女が優しさという名の鎖に縛られている事。

 卑怯だと、思う。

――――卑怯なんだろうと、思う。











――baby,stardust――



空から零れる、星を見ていた。
いつもは澱んで曇った夜空が、今夜は珍しく澄んでいたから。

月の傍を流れる星、ひとつ。
願う間もなく、落ちた。
例えどんなにのんびりと流れてくれたところで、今の自分にはましな願いなど思いつけそうになかったけれど。

「……旅立ちは突然に、ってか」

事務所を解雇されたその日に、オカルトGメンからの長期海外研修の誘い。
気付いていなかった訳じゃない。
いくらなんでも都合が良過ぎる。
ただ自分にとって、誰がそれを仕組んだかなんてどうでも良い事で。

あの人に、必要とされなくなった事が。
それを、直接伝えられた事が。

「おキヌちゃんにシロにタマモ、雪之丞にピートに愛子に、あ、タイガーもいたっけ。
 なんて言おうか……。びっくりすんだろうなぁ……」

わざと、明るく口にだした。

そうしないと、泣きそうだった。
あまりに星が綺麗過ぎたから。

本当に、本当に。











――hole in my heart――



  真白なシーツが、怖く思えた。
  その中に身体を埋めて、視える世界を白で満たして。
  解っている。何も考えずに、この気持ちを伝えられたらどんなに楽だろう。
  でも、怖くて。何もかも変わってしまうのが、怖くて。
  こんな自分を嫌いになりそうで、怖い。
  全てを嫌いになりそうで、怖い。

  きっと、誰も悪くない。
  弱虫な自分を除いては。

  まだ残る掌の痺れだけが、たった一つの事実を突きつける。
  ぱちん、と響いた音が、脳内に住み着いて離れない。 
  
  目に映る全ての白さを汚したいと、初めて思った。
  そして、解っていた。
  自分にはそれが出来ないであろうことも。











――the other side――



「……これで良かったの?本当に」

いつも自分の掌の上に居ると思っていた。
顔を見るだけで、次に打つ一手が読めた。
今は、違う。

「今更何言ってんのよ。ママの頭の中にもあった事でしょう?」

表情からは、何も。
娘が、遠くに行ってしまった気がした。

「……認めるわ。膠着状態を崩す選択肢の一つであったのは確か」

答えは無く、ただ無言の微笑み。

――こんな顔をするようになったんだ。

嬉しさと戸惑いが、身体の芯で混ざった。

「だからって、このやり方は……ずるいと思うわよ?事実、私も実行はしなかった」

反応が無いのを確認して、更に続ける。

「……少しだけ、貴女を叱りたい気分」
「もう怒られたわよ、おキヌちゃんに。こっぴどく、ね」

小さな笑いが、乾いていた。

「これからも、色んな人たちに怒られるんでしょうね」

四つの目が、屋根裏部屋への階段へ。
誰を指しているかは、解りきっていて。

「……覚悟は、してる。勿論、ママに対しても」

「あら、そんな事思ってたの?」

ほんの少しだけ、主導権を手繰り寄せた。
その事に、子供みたいに喜ぶ自分がいて。

「悩んで、想って、苦しんで。貴女が、決めた事なら」

もう後ろを向いていて、表情は見えなかったけれど。
髪の艶では、流石にもう敵わないかもしれない。
そんな、場違いな事ばかり考えていた。











――little wing――



最初にそれを聞いた時、世界が少し暗くなったのが解った。
何も、無かった。
哀しさも、痛みも。
泣き叫ぶ時だったのかもしれない。
喚き散らして、駄々をこねる時だったのかもしれない。
なのに。

――ごめんな。

最後にその言葉が受話器から響いた時、全てが空っぽになった。
あの人は、私にとっての羽だったんだ。
世界を駆ける為の羽だったんだ。

――あぁ、なんだ。

あの人の事が、大好きだったんだ。
そこまで気付いて、漸く涙が零れた。
花の弁が落ちるみたいに。
ぽたぽた、ぽたぽたと。











――St. anger――



少女の心を満たしていたのは、苛立ちだった。
他人の色恋沙汰になど興味はない。
ただ。
ただ、納得がいかない。
置いてけぼりにされたこと、隣のベッドに居座る同居人が静かすぎること。

腹が立つ。
それと共に、答えの出ない疑問が心中を巡る。
何故自分が、こんなことの為に心を煩わされなければならないのか。

腹が、立つ。











――up in the sky――



空が見える。
どこまでも澄んだ空が見える。
日本の不良少年というやつは、こんな風に屋上で授業をサボったりしているんだろうか。
何か、納得できる気もした。
そんな今日の空。
待ち人が来るのが先か、あと数本の煙草が尽きるのが先か。
微妙なところだ――――彼の、時間に対する几帳面さに期待してよいものだろうか。
たとえそれが、儚い望みだとは解っていても。

ふと、階段を昇ってくる足音。

もしかしたら叶うかもしれない、だからこその望み。
どうせ叶えてくれるのはもっと別な願いを、と天に向かって舌を打ちたい気分ではあったが。

「……珍しいじゃないか。男の誘いに遅れないなんて」

ふっ、とため息が零れたのが、背中から聴こえた。

「大方の予想通り」

隣に、彼が腰掛ける。

「来ないほうが、正解だったな」

こっちの、台詞だよ。
心中に吐き捨てた。
くゆらす煙は雲に溶けていく。
あと、残りは一本。











――no more tears――



  目が覚めた。
  深い夢から、目が覚めた。
  
  夢――――じゃ、ないんだ。
  
  この事実だけは。
眼前のシーツは、まだ真白。
  私は、彼が好きで。
  あの人も、彼が好きで。

  なのに何故?

  現実が、ゆっくりと確実に悲劇へと舵をとってゆくのは。
  気持ちと事実との溝は埋めようもないくらいに広がり、無尽蔵の矛盾を産み落とす。
  心と体が千切れてしまいそうで、いい加減涙は枯れ果ててしまって。
  
  ふと、思いついて掌を頬に当ててみる。
  温かい。

  冷たくは、ない。
  まだ、自分はここに在る。

  やらなくちゃいけないことは、まだあるんだ。
  軋む体を起こす姿を見守るのは、月。

  太陽の光を浴びて、白々しくも照る一片の星屑。











――ticket to ride――



信じるものは救われる――――――

そんなの、嘘だ。
それが少女の持論だった。
神は救っちゃくれない。
導いてもくれない。

踏み出すのは、いつも自分。
道を選ぶのは、いつも自分。

だから、なんだ。

力の抜けた手首を掴んで、息も絶え絶え駆けてゆく。
疲れるのは嫌い。
汗をかくのも性に合わない。

でも、こんなことぐらいしか思いつかなかったから。
これぐらいしかしてやれそうにないから。

たどたどしい足どりの持ち主をただ引っ張って、駆けた。
飛んでいけば、楽ちんだったろうに。
でも、そうする気にはならなかった。

自分の脚でそこまで行かなきゃ、意味が無い。
行かせなきゃ、駄目だ。

少女は、改めて思う。

――――――アンタを救えるのは、アンタだけなんだから。











――cigarettes and alcohol――



言葉が、巧く出て来ない。
いや、所在を見つけられないというべきか。
雲は流れ風はそよいでいくけれど、今この状況は進展を見せない。
だが、業を煮やしていたのは向こうも同じだったようで。

「……なぁ。」
「何だい?」

「行って、くるわ。」
「そうか。」

「そんで……」
「それで?」

「あの人のこと、宜しく頼む」

お互いの目は、空に向けられたまま。
残った最後の一本が、掌で弄ばれていた。

「おい」
「……今度は何だ?」

「それ、くれ」

指差した先には、その煙草。
気紛れもいい所だ。
でも、自分の手はその一本を彼の手に移した。
壊れ物でも扱うかのように、そっと。

「少々強めだぞ?」

ライターは緩めに投げて渡した。
不思議以外の何者でもないが、このやりとりが自分の態度を決めたような気がする。
全く、莫迦らしい。

ほんのわずか――――わずかに暗くなったその場所に、ライターの灯はよく映えた。
じんわりと、炎が煙草の先に染みこむ。

「ゲホ…………ッ!!」

余りにも期待通りの反応に、表情を留めておくのが大変だった。

「生憎と、僕ぐらいの立場になれば縛られる物も多くてね」

口元が寂しいが、煙草はもうない。

「英国紳士たるもの、敵がいない間に抜け駆けというのはないだろう?」

「無理すんなよ」

咽ながらも、彼は煙草を口に銜え続ける。
それは何処か脆そうにも見えた。

「どうせ、老い先短ぇんだから」

紛う方無き紳士であるなら、このようなセリフは死んでも口に出さないだろう。
しかし、唇を突き動かすそれを我慢できそうになかった。
衝動に任せる?それもいいかもしれない。
自分も、ある意味ではそうに違いないのだから。


「この、糞餓鬼が」











――here I go again――



辺りは、もう暗い。
もうどれだけ走っただろうか。
脚は縺れ始め、心肺が大声で悲鳴を上げる。
それでも、止まらなかった。
引っ張る手だけは、離さなかった。

「……着いた、わよ。この、バカ犬」

声が掠れる。
水分を失った咽喉元は互いにくっついてしまって、声を出す、という作業を妨げていた。

虚ろな目でも、景色を捉えることは出来るらしい。
まさに今、自分が引っ張ってきた少女が辺りを見回すのを見てそう確認した。

「ここ、って…………?」

「そうよ」

我慢出来ない、とばかりに疲れきった手足を地面に投げ出した。
夜露に濡れた草々が、その行為を迎えてくれる。

「アンタの、両親の墓」

罪悪感が無かった訳じゃない。
単に傷を抉るだけなのかもしれない。

でも。
こうしなきゃ、って思ったんだ。

寝そべって見上げた先には、夜空。
まるで星たちに言い訳しているみたいな自分が、少し滑稽でもあった。

星たちの瞬きは、いつもと同じ。
苦しいくらいに、いつもと同じ。











――nightbird――



「…………?」

彼がドアノブに手をかけた時、それは部屋の主に酷く従順な姿勢を示した。
鍵は確かにかけたはず。
泥棒?いや、ここに盗られるものなんてない。
だとすると…………。
思考の膨張が終わりを告げた頃、丁度ドアは開いていくところだった。
古い家屋特有の、木が擦れ合う耳障りな音と共に。


「……来てたんだ」


彼の第一声は、その言葉。
他に見つからなかった、という方が適切であるかもしれないが。
薄暗い部屋の中、台所にだけ小さな灯。

「お帰りなさい」

例え、光量が不足しようとも。
眼前の少女の微笑を感じ取るには充分であるように、彼には思えた。

「部屋の電球、切れちゃってるみたいで。ちょっと暗いですけど」

果たして誰が此処の住人であるのか、忘れさせてくれそうな言葉。
まだぎりぎり少年、という形容詞が似合う彼は、微動だにしない。
何も言えず、何も訊けず。
小さなガスの炎だけが、ゆらゆらと揺れていた。











――everything passes away――



平凡という名の安息。
今日もその中に目一杯浸って、本日の業務を終えるはずだった。
実際、業務自体は既に終わっているのだ。

深夜への入り口頃、既に閉めた筈の店。
そんな時にドアベルを鳴らした客人への接待は、業務外と言うべきだろう。

いつもそうだ。
この人は、何かがあると此処に来る。
それは、ちょっぴり嬉しい事でもあった。

「ご注文は?」

この答えも、いつも決まっている。

「お任せするよ。あと…………」

「はい?」

既に厨房へと踵を返しかけていた矢先。
彼が「注文」をつけるのはこれが初めてかもしれない。

「今日は、飲みたい気分なんだ」

その時の彼の顔は、寂しそうでもあり、さっぱりしたようでもあり――――

「とびきり美味しい、ワインを」

どこか放っておけない、そんな風に思えた。

あの日、彼は妙に清清しい顔で言った。
少し酔っていたのかもしれない。


――――色々なものに、ケリをつけてきたんだ。











――nothin' but the blues――



―――――さて、と。

ほんの僅か、グラスに残った液体を飲み干して。
ちらりと目線を横にやれば、カウンターに突っ伏した女性。
我が娘ながら、あまり褒められた姿ではない。

来慣れたバーには、テンションコードの効いたジャズピアノと歌うようなガットギターの音色。
思い出されるのは、数分前に聞いたばかりの言葉たち。

『……まだ、迷ってる。』

声に力は無かった。
視線はどこか遠くを見ていた。
らしくもない。
飲みすぎたアルコールの所為か、状況の所為か。
あるいは両方かもしれないが。

『ずっと一緒に居て、あいつが莫迦やって、私がそれを殴り飛ばして。傍にはおキヌちゃんが居て、シロが居て、タマモが居て。でも、何処かで変わらなきゃいけなかった。変えなきゃいけなかった。だけど』

ドラムのスネアが、強めの音をひとつ鳴らして―――演奏が、止まった。

『私には、無理だった』

控えめな拍手の間を縫って、言葉が届く。
少しだけ間をおいて、言葉を返した。

―――『彼女』?

ううん、と小さく首が振れた。

『きっと、私の所為』

どうにも、心根に痛かった。
彼に伝えた時、『行きたくない』って言って欲しかったんだろう。
結局、あのままの状態がいつまでも続く筈なんてなくて、良い結末を迎えられる筈もなくて。
でもそこから踏み出す事も出来ずに、繋ぎ止めておく事も出来ずに。
その末の答えだということはなんとなく理解出来たけれど。

先ほどとは違って、楽しげな曲調が耳を満たす。
少々場違いな感は否めなかったが。

―――縁が無かったのかなぁ。

隣の迷子みたいな寝顔に、心の中だけで問いかける。
前世などは関係ない。今、この時を生きている二人の縁。
きっととても、簡単なこと。
どちらかが素直になりさえすれば、それだけでいいこと。
でも、この二人にとっては難しいこと。
このままバッドエンドだなんて自分だって思っていない、だけど……。

最後に決めるのは、この子達だから。











――don't look back in anger――



頭の中はぼんやりしたままだった。
部屋は相変わらず薄暗い。
月の光の手伝いもあって、彼女の表情だけはちゃんと見ることが出来たけれど。
それだけで、充分な気もした。

溜めていた洗い物もこびりついた汚れも、綺麗さっぱりと無くなってしまっていた。
実感なんてなかったけれど、明日にはこの部屋を出る。
きっと、此処には二度と戻ってこない。

戻ってこれたとしても、それはもう全く別の物だと思った。

「……ありがとう」

気の利いた台詞なんかじゃないけれど、彼女は優しく笑ってくれた。
月が彼女の髪を蒼く照らして、それがとても綺麗で。

「横島さん、私ね」

いつの間にか、二人の距離は縮まっていた。
彼女の膝が、自分にくっつきそうなほどに。


「横島さんのこと、好きでした」


何処かで、気付いていたのかもしれない。
でも、それを認めないようにしてきた。

―――変わるのが、怖かったから?


「初めて美神さんと出会って、着いてきて……。たくさんの大好きな人たちと出会えて」

「生き返った時だって、私なんかの為に頑張ってくれたことが本当に嬉しくて……。」

「あなたが世界で一番、大好きでした」


何か言わなきゃ、そう思った時には――――彼女に、唇を塞がれていた。
そのままの勢いで、畳が背中を受け止めた。
艶めいた髪が、顔に注がれる。

「おキヌちゃん、俺…………」

「わかってます」

受け止めた身体は羽根みたいで、今にも何処かへ行ってしまいそうに思えた。

「………………だから」

決して薄闇には溶けない白い腕が、自分を強く抱き締めて。

「もう少しだけ…………このままでいさせて下さい…………」

何も出来ないし、何も言えないけれど。
せめて泣かない様に、と強く思った。

伝えてくれた想いが、零れてしまわないように。











――liar,liar――



その場所は、草木に見守られた小高い丘に在った。
いや、『在った』という表現は似合わない。

今此処に佇む少女、シロ自身がここ、と決めたのだから。
春は花に、夏は緑風。
秋には鳥たちが歌い踊り、冬には雪。

前に一度だけ連れてきてもらったことがあった。
その時の、ここなら寂しくないだろう、って笑った顔は今でもはっきり思い出せる。
凄く大事な場所なんだろうな、って思った事も。

だから、って訳でもないんだろうけど。
自分でも、連れてきた理由はよく解らない。
ただ、見てられなかったから?あんな顔をする、あいつを。

その本人はと言えば、来てからずっと墓の前に座り込んでいる。
ここいらで一番綺麗な石、方々駆けずり回って探してきたお揃いらしい。
それも、前来たときに聞いた。とても嬉しそうに、はしゃぎながら。

時折動く唇は、二人に何かを伝えているんだろう。
内容を聞き取ろうなんて、野暮な事は考えていない。

ただ、身体はやっぱり疲れていて、夜風がどうにも気持ち良くて――――――
少し、眠ってしまったみたいで。
目覚めたのは、やはり風の所為だった。
草葉を千切って持ってゆく、一陣の突風。

頬に張り付いた葉っぱがうざったくて、身を起こした。
そうしたら。
横に、居た。
夜空を無心に見据えて、大の字に。

「……話、済んだ?」

答えない。
でも、少しだけ安心した。
鼻水を派手に啜る音、聞こえてきたから。

「まったく、腹立つわよね。あの二人、周りに迷惑ばっかかけてさ」

反応は無い。
ただ、小さな嗚咽。

「ねぇ、知ってる?初恋は実らないの。なんでかって言うと…………」

そっと、星を見た。

「初恋が実っちゃったら、みんなが一度しか人を好きになれないじゃない。だから、神様がそういう風に決めたの。みんなが、たくさんの人を好きになれるように」



「…………うそぎつね。」

そう言われると、苦笑するしかないけれど。

「…………まだ、泣く?」

「…泣いて、ないもん」

「えらいよ、あんたは」

「………みゅ?」

「二度は、言わない」

星空は、いよいよ綺麗だ。

「…拙者が、身を引くからには。絶対、絶対、幸せにならないと……」

そこまでで、声は詰まった。
少しだけ、自分も微笑む。

「そう思うよ、本当に」

居るのか居ないのかは知らないけれど。
それくらいのこと出来ないなら、怒るから。

  ねぇ、神様。











――cryin'――



通い慣れた道。
見慣れた風景。

それがどうしてこうも妙に映るんだろうか。
『最後かもしれない』と、思考を付け加えるだけで。

――思考は、どうしても彼女に行き着く。

どれほどの過去に押し流されたのだろうか、まだ時間はそれ程経っていないはずなのに。
自分の部屋に居て。肌が少しだけ触れ合って。

――キスをした。

抱き締めあったまま、少しも動かずに。
少しだけ、多分少しだけ、時間が流れた。
身体は少し震えていて。
でもそれは、お互い様だったんだと思う。

彼女は、そっと腕を解いた。
そして、呟くように告げる。

「今は多分、事務所に誰も居ません」

すっく、と立った。
姿態は月夜に照らされて、彼女の影が自分の顔を覆う。

「お別れ、してきたらどうです?景色や、街や……色んなものに」

躊躇った。力一杯に、躊躇った。
誰かに出会うかもしれない、それもある。
でも。
自分がいつもいる風景――その中に一度入ってしまったら、もう抜け出せない気がしたから。

「でもね、本当は」

くるり、と此方に背中が向いた。

「泣いてる顔、見られたくないんです。実は、今にも」

最後に見えた表情は、これ以上ないくらいに綺麗な笑顔だったのに。





そこからここまでの道程はよく覚えていない。
今見ている風景でも、見えなくなれば恐らく思い出せない。
脳が情報の侵入を拒否しているようだった。

そうだ。
いつも、時計の針と競争しながらこの道を走ってきた。
そして、このドアを勢い良く開ければ―――みんなが、いたんだ。

今また、そのドアを自分は開ける。
全てが過去形になっていくことに、恐怖を感じながら。

「なぁ、誰か……居るか?」

例え無人であったとしても、そう問いかける義務があった。
遅れて、無機質な声。

「……誰も、居ませんが?『私』以外は」

「そっか」

安心した、という訳ではないけれど―――ドアを、開けた。
どこまでも、遠慮がちに。

「久しぶり……だっけ?」

「三日ほど、ですがね」

「そうか」

言葉が切れると、途端に足音が気になりだす。
吸い寄せられているほうには、彼の人の匂い。

「なぁ、ちょっといいか?」

「何でしょう?」

「席を外す……とか無理?」

相手を選んで物を言うべきだろうよ、とは自嘲の言葉。

「…視覚、聴覚といった感覚を暫くの間遮断します。それでどうでしょう?」

「充分すぎるよ。悪いな」

「いいえ。……それでは」

空間を満たしていた気配が、ふっ、と消えた。
何やってんだろうな、と笑って。

ため息、ひとつ。
客観視出来るほど、目の前の景色が持つ思い出は少なくなかった。
壁際での談笑。食卓での晩餐。ソファーに寝そべってテレビを見ていたこともあった。

横には、誰かが居た。

そんな事を考えていたら、少しだけ泣けてきた。
どうしようもなくて、立ったまま机に顔だけ埋めた。

「…………行きたく、ない……っ」

叫んだ言葉は、決壊の合図。

ポケットの中の物は、全て地面に叩きつけた。
部屋の鍵、身分証、財布。
それら全てが、もう必要なくなるものだった。

惨めだ、とは思った。
だからって、止まる事も出来そうになかった。



心のままに、泣いて、叫んで。
気付いた時には、疲れて座り込んでいた。



「お済みになりましたか?」

「………………あぁ」

夜がほんの少し、隠れ始めている。
長居する訳にはいかないから、なんとか立った。

「それじゃあ、元気でな」

「えぇ、お元気で」

誰も居なくなった空間、少しだけ空気が震えた。
彼がもう少しだけ歩調を緩めていれば、最後の言葉が聞けただろうに。

『私にそんな事を言うのは、貴方だけでした』と。











――think about you――



ふと気付いたのは、雀の声だったろうか。

……頭が、痛む。

少しだけまどろんでいた脳が、また忙しく回転を始めた。
まずとりかかるのは、記憶の整理。

昨夜、『久しぶりに飲みに行こう』と持ちかけられて、バーで珍しくも酔ってしまって……。
タクシーで取り敢えず、近場の事務所まで送ってもらったんだっけ。

この机は気に入っているものだけれど、寝心地は良いとはいえない。
無理矢理に、抵抗する身体を起こした。

「…………?」

ほんの少し、頭をよぎった違和感。
座り込む前には気付かなかったけれど、机の傍に散乱した諸々―――特に、その中のひとつが、目を引いた。
『彼』の持ち物に相違ない。
それは、昨夜の来訪という答えを導き出す。
恐る恐る拾い上げた『それ』は、ビー玉のようだった。

「何で…………?」

強く、握り締めた。

「どうして、また迷わすような事をするのよ……?」

あぁ、らしくもない。
こんな自分が、惨めで仕方が無い。
だからこそ、この道を選んだのに。
なのにどうして、こんなに苦しい?


「……答えなさいよ。」


その時だった。
閉じた瞼に、ぼんやりと移り込んだ光。

握った拳の中から――――漏れ出す光。


  声が聴こえた。

 『ここに居たい』

  何度も響いた。

 『離れたくない』 

 
  ――もう、いいから。


  『――――――。』



ばたん、と机を叩いていた。

時計を見る。
離陸は何時?

余裕は無い。
知ったことか。

行かなきゃ。
あいつの所に、行かなきゃ。


  

  光は、まだ机の上。
  でも、すぐに風に溶けて消えた。
  蛍が飛び立つように、儚げに消えた。











――wanderin' destiny――



空はいつ見たって青くて、添えられた雲の白が彩りをつけたす。
昔、飛行機が空に溶けていくみたいに見えて、それをお袋に言ったら笑われたっけ。
今日は自分が空に溶けていく立場なんだ。
そう考えたら、可笑しくなった。

見送りも、送別会も断ってきた。
そんな気分じゃなかったし、どうにもこういうのは苦手だから。

早く、乗ってしまいたかった。
未練は少ない方がいい。
降りゆく舞台に見切りをつけて、さっさと離れてしまいたかった。
それでも、探してしまう。
人混みの中を、探してしまう。
そんな自分が女々しく思えたから、早く乗ってしまいたかった。

  来るんじゃないだろうか?

  そんな訳、ないだろうが。

幾度となく、そんなやり取りを心の中で繰り返した。
時計は進む、静かに進む。
でも、もう少ししたら、もしかしたら――――
思考は、響いたアナウンスに打ち消された。


『……便、――――行きにご搭乗のお客様…………』


「……時間、か」

扉は開いた。
あとは、進んでしまうだけ。
小さな椅子から、重い腰を上げた。


『誠に申し訳御座いません、……便、――――行きにご搭乗のお客様は機内の安全確認の為、もう少々お待ち下さい。繰り返します、……便、――――行きにご搭乗のお客様…………』


「何だよ……?」

トラブル?
何にせよ、遅れるという事実は変わりそうになかった。
少しだけ安心したような、残念なような。
妙な気持ちに満たされて、ぼんやり見上げる無機質な天井。


『…………来てるよ。』


「…………えっ?」

空耳にしてはやけに確かなその声は、何処か遠くから。
いや、とても近くから?

慌てて辺りを見回した瞬間、目があったのは――――


やけに乱れた亜麻色の髪。
それでも、綺麗だった。

身体の芯が痺れて、咽喉が渇いて。
もし自由に動くようなら、頬をつねってみたいのに。

目の前に、美神令子が居るのだから。











――wonderwall――



急げ、急げ、急げ。
何度も呟いた。数えるのも面倒くさい。
空港に着いた瞬間、車はそこらに捨ててきた。
ヒールも走るのに邪魔だったから、とうに脱ぎ捨ててきた。
肺は『もっと酸素を』と喚くけれど、その度叱り付けてまた走る。
もう少しなんだ。間に合わないかもしれない、だけど。
ここで走らなきゃ、いつ走る。

エスカレーターを駆け上がって、着いたロビーには人、人、人。
何処かに居るの?絶望がまた首を擡げて笑いかけてくる。
少し前の私なら、座り込んで泣いてただろうに。
あの時の私は、おかしかったんだ。そうに違いない。
五月蝿い。あっちに逝け。
かきわけて、進んだ。心の赴くままに。

「……あっ!」

誰かの足に躓いた。
転んだ周りが、少しの空白を作り出す。
ここまできたら、人目なんて構うものか。
立ち上がって、出来た空間を見据えて、その先に――――――居た。



目が合った瞬間は、何も考えられなかった。
ただ、脚は前へと進んでいく。
呆けた顔の方へ、進んでいく。



「美神……さん……?」



――――莫迦。


声を聞いた瞬間、駆けていた。
その胸目がけて、飛び込んでいた。


「ちょっ……!美神さん……?」


「………さいよ」


「うぁ…………?」


「……言いなさいよ。昨夜、事務所に来て、叫んだこと。ちゃんと、私に向かって」


言ったらあいつ、びくり、と震えた。
まだ、目を見据えて言えそうにはなかったけれど。


「ほら、早く!」


その言葉が、精一杯の意地。


「…離れたく、ない、です」










「あなたの、傍に居られるの、なんて……世界中探したって、俺ぐらい、ですから」


髪にぽたぽた垂れた事は、言わないでやろうと思った。


「……それでいいのよ、この莫迦」


自分だって、泣きそうだったから。
もう暫く、らしくない私でいたかった。

後から思い返しても、この時は本当に困った。
子供を褒めるみたいに髪の毛を撫でたら、あいつがまた泣くんだもの。
全く辟易した。


少しだけ、泣いてしまいそうになるくらい。
本当に、困っていた。











――Epilogue――



「若いわよねぇ、本当に」

カップを傾けながら、美神美智恵はそう呟いた。

「しかし……大丈夫だったのでしょうか?あんな事までして」

「あぁ、大丈夫よ。テロの偽情報流して飛行機止めるくらいなら精々が減給程度だし」

人工幽霊に対して事も無げに言い切るその様が、やはり持ち主と親子である事実を再認識させる。
「それよりも頼んでおいた事とはいえ、連絡ありがとう。色々と苦労するでしょ?持ち主が持ち主なだけに」

「答え難い質問ですね」

「確かに」

苦笑するしかない。
どうも、住人に影響されてか日に日に人間臭さを増している気がする。

「全くあの二人は、くっつくくっつかないだけの問題で周りに迷惑ばっかかけて……ねぇ?」

見やった先には、少女が居た。

「それが、あの二人ですもん」

少女――――氷室キヌは、静かに微笑んだ。
まるで何事もなかったかのように。

「あ、そういえば。タマモちゃんから電話がきて、夜には帰るって言ってました。シロちゃんも一緒だから、って」

この少女たちには、全く驚かされる。
思わず嘆息がひとつ。

「強いわね、あなたたちは。誰かさんに見習わせたいくらい」

「そうでもありませんよ?」

そう言うと、キヌは席を立った。
そろそろ夕飯の用意をしないといけない。

「うまくいかなかったら奪っちゃえ、ぐらいには思ってますけど」

「そうしてあげて。あの子がまだぐずぐず言うようなら」

参った。
女の子は、本当に強い。

「あ、隊長さん……。お夕飯、食べていかれます?」

「そうねぇ……そうさせてもらおうかしら。仕事もないことだし」

「それじゃあ……」

少しだけ、考え込んで。
澄んだ声で、言った。


「夕飯、六人分ですよね」


あの人が好きだった夕陽が沈んで。
月夜が静かに舞台を満たす。
今日は満月、兎も元気。

後は、願うだけ。
月が二人の道を、ずっと照らしてくれることを。

きっと、大丈夫。
なんたって、あの二人なんだから。











fine.






如何でしたでしょうか。
これは元々とある方の誕生日祝いに贈らせて頂いたものなのですが、たまたま思いついた「一人称の集合で三人称的な視点を描き出せないものか?」「結ばれるシーンを描いたSSは結構多いけど、その他ヒロインの心境とか書いてみたら面白いのでは」なんて思いつきによりえらい苦労してしまいました。
後半は書いてて恥ずかしくなりましたしw

ただその分、個人的には非常に思い入れの強いものになりました。出来はともかく。出来はともかく 大事な事なので(ry

『展開予想』ということでなら、こういった状況が自分としての最終解答なのかなぁという気はしています。勿論他の展開も好きなの多いですけど。

まあそんな色々と曰くつきのものではありますが、少々でも楽しんで頂けましたらば幸いです。


~ついでに~
各パートのタイトルは、全て実際に存在する曲名からとっています。
その当時聴いていたものがモロバレで少々恥ずかしく。
元ネタの解る方は、ニヤニヤと楽しんで頂ければよいかと。

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